敬う心を持ちなさい
知人で人も羨む良い夫婦が居ます。本当に仲がよく、どうしてそこまでの関係を作って居られるのか、時に考えさせられる程の仲の良さがあります。そのご夫婦はお互いに目を合わせた時にもお互いを本当によく想っている感情さえ見えて来るほどです。
見て居る私も、この夫婦を見てると気持ちが和み、人として尊敬したいと会うたびに思わせられる関係を持っているのでしょう。ある時、私が、本当にご夫婦が仲が宜しいですね?とお尋ねした時のことです。どんな秘訣があるのか想像させられる様な話をしてくれました。
ご主人からお聞きしたお話です。奥様との一時をこんな風に過ごすそうです。
「おい、ちょっと背中を掻いてくれないか?」
「ここ?どう?」
「おお、そこだよ。凄いな、一回で痒いところが解るなんて、さすがだよ。ありがとう。ついでにもう少し上を掻いてくれないか?」
「そう、ここ?」
「おお、そこそこ。ああ気持ちが良い。そこの横の辺りも痒くなってきた。掻いてくれるか?本当に気持ちが良いよ。」
「はいはい、この辺ね。」
そこで、ご主人は初めて自分が痒かった所を掻いて貰ったという話を聞きました。二回、三回と掻く場所を変えた時に初めて、思い通りの場所に行きついたと言うことでしょう。
この会話と言うのは、本当に何気ない夫婦の時間と言う感じがしますが、実は物凄く深いものがあるのです。私はご主人の感性の素晴らしさと、その方の人付き合いの上手さに感銘を受ける程でした。
この会話の中で、初めに掻いたところが間違って居た時に、ご主人が、「おい、違うだろ。そこじゃない。」なんて、上から言う様なことを言ったら、奥様はへそを曲げてしまいます。そうではなく、奥様を見事にリードし、自分が求める方向へと無意識で気持ちよく動かした事には本当にあっぱれと言うしかありません。
ですが、それは腹の中でこうしてやろうなどと横柄な気持ちは一切なく、奥様を敬っているかこそ、出来ること、テクニックであると私は思いました。
「和敬清寂」
この言葉の意味をご存じでしょうか?和にはじまり、敬と清を通して、寂に辿りつき、その境地に溶け込んで行くと言う意味があります。茶道から生まれた、禅のこの言葉の核としてあるのが、人を敬うと言うことです。
これは本当に大切なことであり、どんなに仲が良い夫婦であっても、完全に違う個人であり、それぞれ違った個性を持ってると言う事を忘れてはいけません。そして、その相手を敬うことによって、関係を築いていくことは意識し、その先にそれを自然で当たり前かの様に積み重ねて行くことが出来るでしょう。
人と言うのは、常日頃から出会いを重ねて様々な人とのつながりを持って生きて行きます。そして、その中には多かれ少なかれ、自分が苦手とする場合もあったりするでしょう。合わせて、人間関係を作って行く中で、時にぎくしゃくする様な出来ごともあるかと思います。
そうした関係の中に自分が置かれた時、どんな態度を示しますか?どんな会話をしますか?相手をどんな風に思いますか?あからさまに嫌な顔をしたり、嫌な言葉を相手にぶつけたりすると言うのは、劣等感から生まれるものです。
もしその様に、劣等感からくる感情を抑えることが出来ずにそのまま表現をしてしまったら、敬う所か、せっかくの出会いが台無しになってしまう事でしょう。元々持っていた人間関係であれば、崩れる事も起こり得ます。
とにかく、どんな時でも、どんな場合でも相手に対して敬うことが大切です。具体的に言えば、とにかく褒めて差し上げることが、お互いにとっては良い関係を作るものに繋がるのではないでしょうか?これは、根底に置けるマナーとも言えるのだと私は感じます。そして実行をして行かなければなりません。
己の心から先ずは劣等感を無くす、あるいは退治をしましょう。そして人と自分を比較する様なことは極力避けたいものです。人生楽しく、嬉しく、仲良くある為には、劣等感と言うのは全く無意味なものであり、必要の無いものなのです。
夫婦であっても、カップルであっても友人であっても人と人との間に必要な心は、どれも共通してる部分があり確実に欠かせないことでもあります。
敬う心は、一生を掛けて育んで行くべきなのです。