もし人間にとって難解と思われる事全てに「答え」があったとします。その答えを求めて人類は様々な分野ジャンルで専門家と言われる人達が提唱を重ねてきました。その中に本当の答えがあったりすれば、偽物もあったりしたかもしれません。いずれにしても、本当の答えが何のか?は非常に疑わしいものです。

例えば医学などのように、人間の目で見て結果として治療がされるものや、他にも高度な技術を要するものなど、実際に見てその結果として判断できるものはそれが「答え」と判断がし易いです。でももう少し深く考えてみると、目や耳や鼻などの人間の五感で感じたものでしか答えとして認めない「認められないその人のレベル」は問われないのでしょうか?

凄い知識人が凄い情報量と歴史上の例えを用いて、唯物的な観点を主体に難解なことを論破してきたとします。例えばそれが宇宙の話しだったり、宗教とか人間の魂の話しだったりします。凄い知識量や文献からの例などを列挙して熱く語られても、結局は感じるものではなくて「五感で確認したものにしか反応できない人間性である」という事はその学者も脱却できてないのです。言い換えると、五感が全てであると言ってるようなものです。

「自分の目や耳や鼻で感じれるもの以外は全て嘘である」という事だけをその人は証明すれば良いのです。でもその証明は不可能なのです。何故なら、五感で感じたもの以外が嘘だと思ってるのですから、その人は五感で感じる能力があるのを自分で認めてないのです。これは悲しい事です。

私は何の努力もせず、生まれた時からその能力を持ってます。そして、私以外の非唯物論者の方も産まれた時からその能力をお持ちなはずです。いいえ、むしろ多くの方がその能力を何の努力もなしに持ってます。一部の人だけが、その能力があることを「認めようとしない」んです。

例えば綺麗な花を見ました。どうして綺麗だと思うのでしょうか?それは色彩が目から情報として入り脳のある部分を刺激し、花の香りが嗅覚から感じ、それが脳のある部分を刺激し、総合的に「花は良いものである」と脳が判断して、その結果として「花は綺麗」という事になるのでしょうか?

五感信者から言わせると、きっとこういう事になるはずです。でも私は五感信者ではございませんので、そんな物理的なカラクリには全く興味がありませんし、そんな事で人間が花を綺麗だと思う感性が決められてはたまったものではないと思ってます。

もしあなたが、3つの宗教を勧められたとします。どれも関心できる教義内容で、どの宗教の人も親切でした。そして世界的にも広く普及していて、悪い噂もあれば良い噂もあります。あなたは悩みました。どうして悩んだのでしょうか?それぞれに様々な理由で悩むのでしょうけど、一番は「本当にその宗教を選んで自分が幸せになれるのか?」という確証がない事に悩んでるはずです。もちろん、小さな悩みも沢山あるでしょう。騙されないか?お金がかかるのでは?友人や親にバカにされないか?洗脳されてしまうのではないか?などなど。

でも宗教へ関心があると言う事は、少なからず平和や文化、または人間哲学なり自分の人生の幸不幸に関して深い興味があるからであって、遊び半分でどこかの宗教に入信しようなんてする人はいないと思います。

でも私は思うのですが、結局はそれの善し悪しも含めて「やってみるしかない」んです。実際にやってみて、行動してから解ることがほとんどなんです。だからやる前から悩んでることは、ほとんど意味がないのです。極論で言えば、3つの宗教をやってみればいいんです。それで一番良いと思ったものをやれば良いです。

先ほどの唯物論者の話しに戻りますが、最初から既に答えが決まっていて、その答えを正当化するための話しを作るのではなくて、まずはやってみて下さい。感じてみて下さい。心を開いてみて下さい。素直になってみて下さい。その経験の中で、どうしても唯物的な見解でしか宇宙も地球も人間も存在してると思えないというなら、それで良いと思います。

「やってみる」とか「心を開いてみる」という行為をせずの段階から「決め付け」で話すのか、それともそういった行為を思う存分にやって、もうこれ以上無理ですというほどやった先に、やっぱり世の中は五感で感じられるものが全てで、それが答えだとしか思えませんというなら、私も納得できます。

あらゆる事を私は経験してきました。そしてこれからももっと勉強して経験できる事は素直に純粋な心でチャンレンジしたいと思ってます。

私は父を亡くしました。大切な友人も亡くしました。出産もしました。子育てもしました。借金もしました。本も何冊と読みました。若い頃は男性に混ざって仕事をしました。宗教も経験しました。怪我をして死にかけた事もあります。

全て、経験したからこそ、やってみたからこそ語れる事がほとんどです。いいえ、語れるというよりも、経験してから改めて思うのです

「あぁ、やってみて解った。経験して解った。やっぱり人生とはこういう事なんだな」と

だから私は思います

思い悩んでる暇があるなら時間が勿体ない。今すぐに行動をしなさいと。

やってみる前から悩むなら、その悩み自体をも捨てて下さい

捨てられないなら、やってみなさい

捨てられない、やってみる事もできない

それならば、私がお話しをお聞きしましょう

それがきっかけとなって気持ちが変わるかもしれませんからね